「町田君の世界」の一巻を読んでの感想。
この作品は高校生の長男の町田君の日常の漫画です。
この作品を読んだとき真っ先に思い出したのは岡田斗司夫さんのブロマガで「自分が作りたいものと“売れる作品”を合致させるには?」という問いに対して岡田さんは「ひとつの作品の中で、頭の良い部分と、頭の悪い部分を混在させればいいんです。」と答えています。
頭のいい部分と悪い部分を自分なりに解釈するとキャラクター、または設定やなどに良いところと悪いところを混在させる事(同じこと言ってる?)になりますよね。
例えば、町田君は人の困っているところをみると躊躇なく行動しますし、相手のいいところがわかればすぐ発言します。それは普通の人だったらできない事です。
一方町田君は人が照れるような、もしくはうれしくなるような発言をそれが普通だと思い周囲とのギャップが生まれます。
その町田君が起こす行動が漫画ならではの面白さを生み出しているのだと思います。
では、この本の面白さから一歩離れてみると、町田君の行動、もしくは発言は僕らがしたいと思う事を臆面もなくしてくれるヒーロー的なところがあります。
もし誰かが困っていたら助ける。いいところを見つけたら相手にそのことを言う。私たちだったら心の中でとどめておいてしまう事を町田君はやってくれる爽快さがこの漫画の魅力だと思いました。
2,3日たってこの本を読み返したところ、やはり町田くんに違和感を感じました。それは1話でふきだし?□で囲まれたところに「町田君は 町田家の長男です」「町田君は人を愛し また人から愛されています」とあります。2話では「人の心は 不安に弱いんだな」とあります。これだけ読めばまるでロボットが人を観察しているような感じです。しかし1話は神の視点。2話は町田君の視点です。そう、まるでロボットが人になり、善行をするようプログラムされてるように見えるのです。これはSFなのか?いいえ少女コミックです。であるならば町田君は人間です。高校生の長男である町田君は普通の人間であるはずなのにどこかロボットを彷彿させる。それは疑問を率直に聞く。言い方を変えれば無遠慮に聞いているからかもしれません。でも、だからこそ、相手の心に直接問いかけることができるという良いところがあります。
この漫画、なかなかおもしろいかもしれませんね。
来週は群青戦記の一巻を読んだ感想を書きたいと思います。