自転車と車の共存への提案
単刀直入に言うと道幅を1M伸ばして両側を50センチずつ自転車レーンを敷いてほしいのだ。
私はいつも恐怖を感じる。そう恐怖だ。なんにだ?自転車にだ。
自転車が悪いとは言わない。
だから自転車専用レーンを作ってくれ。
昔は歩道を走るのが普通だった。
この画像を見てくれ。
昔は自転車は歩道を走るものだった。それがいつしか「いやいや、自転車も車両でしょ」という事で車道を走るものになった。
それは別にいい。別にいいんだが、怖いんだ。すぐ隣を生身の人間がいると思うと鉄の塊を運転してる身としては怖いんだ。
弱虫ペダルの影響もあるだろう。健康的にもいいだろう。だが、自動車という鉄塊を運転してる身としては怖いのだ。
そこで提案なのだが、ヒルクライムなど山登りを大々的にアピールしてるところなどは自転車レーンを敷いてくれないだろうか?
勿論これは国道の両側の家の持ち主に対して50センチ下がってくれと言ってるようなものだ。とても無茶なことを言ってるのは分かる。でも、いつ事件が起きてもおかしくないし、むしろこれはチャンスだと思ってくれてほしい。
休日あそこに行けば安全に自転車の練習ができると思われれば集客の要素になるし、空き巣を解体する理由にもなる。これは山に住む町や市の気の遠くなるような改造計画だと思ってくれていい。
だけどいうのはタダだ!どうか。考えてみてほしい。
学校は必要ない?
今回キンドウさんで書評をやらせていただきました。
そこで不登校の一人のマサムネがこんなことを言うんです。
「学校なんて行くのは、だから、オレにとってははもうあんま意味ないんだよな…」
マサムネの家はレベルの低い学校には行く必要はないという意見で学校が始まってから教師と親が喧嘩し、学校に行ってない状態だ。
ここら辺を読んで最近似たようなのを読んだと思ったら思い出した。『中学なんていらない』だ。
ここでは実際に女の子が不登校になってる。その親が描いたエッセイだ。
そこで一番思い出深いセリフが「タダで義務教育が受けられるってすごいことやよな~!!」だ。
そう、義務教育とは親側の義務。子供に教育を受けさせる義務があり、子供は教育を受ける権利があることだ。
実際の所、一切学校に行かなくて教育を受けさせればいいのだ。では何のために学校があるのか?それは上のセリフにあるように「タダで義務教育が受けられる」ことだ。
他にも集団行動やいろんな同年代の人に会えたりと、メリットがあるということだ。
もちろんデメリットもある。そういう人はマサムネのように学校に行かないという選択肢もこの世には存在するのだ。
そして学校にいけないという子にもそういう子を援助するシステム、フリースクールというようなものもあるのだ。
だから、学校には絶対に行かなくちゃいけないというわけではない。ただ、一般人にとってとても便利であるという事なのだと思う。
中学なんていらない。 不登校の娘が高校に合格するまで (メディアファクトリーのコミックエッセイ) | 青木 光恵 |本 | 通販 | Amazon
俺にハンカチの使い方を誰か教えてください。
冗談のような冗談じゃないような。ずっと謎な話なのです。
今回キンドウさんの所で書評をやらせてもらいました。
この「かがみの孤城」のなかで女の子が泣いて、そっとハンカチを渡すシーンがあるんです。
いや、どこにでもあるシーンだと思いますが自分にとってはずっと疑問だったんです。だってハンカチって臭くなるじゃないですか!
トイレなり汚れたりしたら洗面所で手を洗いハンカチで拭く。そしたらハンカチのなかで黴菌が増えて臭くなる。ふつうそうですよね?
でもなぜかみんな綺麗な状態でハンカチを取り出すんですよ。これはいったいどういうことなのか。
皆さんはハンカチを通常2枚持ちが普通なのでしょうか?それとも手を洗ったら体の服で拭いてるのでしょうか?それとも涙用のハンカチを携帯しているのでしょうか?
誰か教えてください!
なぜフィリピンのISISの島占拠が日本のニュースにならないのか?
一日中TVのニュース番組をチェックしているわけではないが、どうもこの問題に対し日本のマスメディアの反応は薄いように感じる。
一方Twitterなどではこれは危険な状況なのではないかと危惧する言葉を見かけるがそれだって、Twitterの中にとどまることにしかならない。やはり民放で流れないと全国民に知れ渡らないのだと思う。
ではなぜ民放。そしてNHKはこれを報じないのか。それは結局のところ日本国民に知識に合わせて番組が作られているからだと思う。ようするになめられてるのだと思う。
昔岡田斗司夫さんがタブロイド紙を手にし、これは編集者がバカなのではなく、この本を手に取る読者の知能指数に合わせて作っているのだといった都のようなことを覚えている。
今回のフィリピンも同じだと思う。
戦没者を慰霊している間にすぐそばで戦争が起きようとしているのにだ。
というわけでNHKにだけでも国民の声として届けてみよう!
中国が手を出さないのは分かる。新疆ウイグル自治区でウイグル人がISISのメンバーになってるとの報道を見かけたことがあるからだ。これ以上刺激したくないのだろうと思う。
でも、日米はどうして何も言わないのだろうか?
フィリピンのドルゥルテ大統領は麻薬取り締まりで名声を得たと聞いたことがあるからもしや手助けを拒否してるのか?
どこまでも憶測の域を出ないが、この事件がどうなっていくのかはきになるところである。
日本は世界の消防を目指した方がいいんじゃないかと思うこの頃。
俺が大好きなTV番組である朝8時のBS1「ワールドニュース」この番組は世界中のニュースを通訳してくれる奴をほぼ毎日見てるんだけれど、これがまぁ世界中山火事が多発してる事多発してる事。
火災以外にも何らかの天災を世界中で起きてるのを地震津波噴火等天災の宝石箱である日本は世界の消防を目指した方がいいんじゃないかと思ってやまない。
この『世界の消防』というフレーズは俺が考えた奴ではなく、津田大介さんのサイトのポリタスに寄稿されたやつがずっと頭の中に残っていたのだ。
戦後100年に向け「世界の消防」を目指す道(北丸雄二)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
この北丸さんの言ってる事かっこよくない?
それにもし安倍首相が「我が国は世界の消防を目指します!」なんて言ったら票入れるよね。賛同するよね。そうなったらいいね。
と思う今日この頃。
俺の大好きな小説!「理想のヒモ生活」
自分はジャケ買い派なのでまずイラストが文倉十先生ってことだけでちょいテンションあがり、手に取ってみたところ、発行元が主婦の友社だったんですよ。『ヒモ生活なのに主婦の友とはこれいかにwww』とそんな感じで手に取った本だったんですが、これが自分のツボにドはまりだったんですよね。
内容は異世界で戦争が起き、その世界では王族が魔法を使えることがアドバンテージだったんだけれど、王族が戦争で減っちゃったから増やさないとやばい。そこで異世界(ここで言う日本)から近い血族の人を呼んで子作りしよう!ってことで召喚されたのが主人公の善次郎。そして読んだのがカーパァ国女王のアウラってわけ。
もちろん善次郎が異世界に行くわけだけれど、この本の俺が大好きなところは、常にラブコメの波動を出していること。
基本作中人物がラブラブしてるところを読むのは小説漫画問わず好きなんだけれど、どの漫画もラブラブしているのは一瞬じゃないですか。もしくは事件の間だけだったり。でもこの本では違うんですよ!
この異世界では男尊女卑が強い世界で女王の夫という地位から、王にしようとしたり、もしくは妾として女性を送りあわよくば自分の娘と子供を作らせようとするわけです。
二人しかいない王族の中が悪くなるとそれこそ内乱の危機になる。
でも、そんなことは起きません!二人はラブラブだからです。むしろラブラブでいないといけないので随所随所相手を思う描写などもありこっちはほんわかしてみていられるのですよ。
これはもうたまらない!というわけで。自分はこの本『理想のヒモ生活』を応援しております。みんなも買ってね!
劇場版ガールズ&パンツァーの面白さを個人的に話すとこうなる。
ガルパンおじさんと呼ばれる人々がいた。それは劇場版ガールズ&パンツァーを見た人が感激のあまり言葉を失ってTwitterただ、「ガルパンはいいぞ」とつぶやく人々のことである。
私も劇場公開ぎりぎりになって気になって見た、そして感動はしたがそれで言葉を失うことなく、ありありと戦車に対する思い出がよみがえってきた。その時のことを話そうと思う。
これを読む人に知らない人はいないと思うが念のために言うとガールズ&パンツァーとは戦車に乗った女の子が対決しあう物語で、装甲には特殊なのが使われてて死なない競技なのだ。
でだ。見終わった俺によみがえってきたのは小さいころ買ったラジコンの戦車だ。ラジコンといっても線でつながれていてそんなに動けるものではなかったともう。でも俺はうれしかった。だって戦車だったから!
戦車ってかっこいい。無限軌道でキュラキュラ音鳴らして武骨なフォルム。そして大きな音で砲弾を出し、そのすさまじい破壊力!俺にとって戦車は強くてかっこよかったのだ。
でもTVで扱われる戦車はそんなにかっこよくなかった。それは戦車とは人が軽々倒せるものではないから、その戦車を倒せる存在は強いという事でやられやくのシーンが多かったのだ。
いつみても、どれをみても、「あの戦車を軽々倒す凄いやつ」として扱われる戦車しかみなかったのだ。
それがだ。劇場版ガールズ&パンツァーでは帰って来たのだ!あのかっこいい戦車が帰って来たのだ!子供のころ興奮したあの戦車が帰って来たのだ!
このような理由で自分にとってあの映画は童心をよみがえらせてくれた映画であったのだ。